3.再開後の活動(1)
昭和25年12月9日、戦後の混乱期を乗り越え復興の息吹満ちる中に、いち早くクラブ再開、出発した銘記すべき日である。以来、今日まで45年間、帯広クラブは生々発展し、今日の立派な伝統と60年の歴史を有する栄誉あるクラブとして発展して来ている。
今、過ぎにし再開以来、現在までの60年間について、10年毎にまとめて足跡を辿ってみる。
[1].基盤確立の10年(1951~60)
この10年間は、ロータリークラブ活動として、その実践行動には今日と比較する何もなく、地域への奉仕活動もまだ充分と言えない時代であった。しかし、ロータリーの根本である例会開催は確実に実施され、逐年増加する会員の親睦と友愛を第一番にし、クラブ活動を着実に継続している。
特に注目すべきは、当時全国各地での開催のロータリー全国大会に対して、会員、家族が毎年数名から多い時は20名が出席し全国のロータリアン・家族との親交を深めている。当時のロータリーの全国大会への関心と熱意は、今にして思いを新たにすべきであろう。
一方、職業奉仕、社会奉仕関係事業についても見るべきものが多く記録に残っている。永年勤続者及び優良職業員表彰を継続実施し、更には歳末助け合い運動への積極的協力、帯広市図書館に「ロータリー文庫」の寄贈、公聴傘の提唱、記念植樹、都市と農村をつなぐ懇談会開催、新聞配達少年激励大会の開催など、帯広の地域のニーズに対応してきめ細かい奉仕活動を行っている。
奉仕の実践に対する先人ロータリアンの苦労がしのばれる。
この10年間は帯広クラブとして、クラブ活動に情熱を傾け、クラブ体質の基盤を確立し、このあとに続くクラブ拡大への鼓動の時であった。
<付>
●クラブ会報は前身とも言うべき「例会だより」第1号は昭和27年8月24日に始まる
●昭和28年9月9日の宮脇冨第60地区ガバナーの公式訪問の時クラブ協議会は実に6時間にs及んだという記録がある
●昭和29年8月17日天皇・皇后の帯広への行幸、啓の際には帯広ロータリークラブ会員は特別の栄誉に浴している
●昭和30年には、国際ロータリー創立50周年を迎え、記念式典を行い、記念誌「奉仕と共に」の発刊、帯広クラブ奨学金制度を開設している
●昭和34年には、帯広市内に区域割譲によるアディショナル・クラブとして帯広北ロータリークラブを設立している
[2].拡大発展の10年(1961~70)
帯広クラブはいよいよ新しい時代のニーズに添う実践行動のロータリークラブへと着実に体質改善が行われ前進を続ける時代であった
地域の発展と共に、帯広市周辺の十勝町村におけるロータリークラブの新設がクローズアップされてきている。昭和37年には広尾ロータリークラブ、芽室ロータリークラブ続いて足寄ロータリークラブと矢継ぎ早にスポンサークラブとして新クラブ拡大設立に労力を注ぎ、続いて翌、38年には清水ロータリークラブ、そして40年には上士幌ロータリークラブと十勝管内に5つの新クラブ創設の偉業を果たしている。
また、この間には国際ロータリー創立50周年に続いて、60周年記念事業として帯広駅前広場に、「大地」の像を寄贈設立しており、これは今尚、市民に親しまれている。その外、帯広クラブ創立記念の節目には、それぞれ記念事業を実施している。
クラブ活動においては、会員数も飛躍的に増加し、各奉仕活動の益々地域ニーズに対応し充実した活動が活発に行われている。昭和39年には、国際ロータリー第350地区年次大会をホストし、その先年竣工したばかりの帯広市民会館にて、画期的な750名余の多数のロータリアン、家族の登録のもとに立派に地区大会を運営していることも注目される
さらに、先年来継続している帯広ロータリークラブ財団奨学金制度もようやく充実し成果を挙げており、昭和42年には社会奉仕事業の一つとして「交通安全教室」を開催し大変好評を博している。
以上、この10年間は帯広クラブとしても内部的に充実を図り、さたに新クラブ拡大など極めて活発足跡を残している。