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2003-2004年度会長報告

第2889回例会会長あいさつ 2003年7月16日

2003 年 7 月 16 日

2007-8会長

会長挨拶 高橋勝坦会長 
初めに昨年9月入院されておりました山下会員が、本日の例会から出席しております。快気を心からお喜び申し上げ、今後とも当RCの活動に対しご支援を頂きますようよろしくお願い致します。
さて相変わらず低温でぐずついた天候が続いており、十勝の夏はどこへ行ってしまったのかと感じております。
夏といえば、高校球児の夢の甲子園があり、当地区も十勝支部予選が行われ、北高・白樺学園・南商の3校が7月18日より旭川市で北大会に出場することが決まっております。
十勝勢として甲子園に出場したのは、昭和24年帯広高等学校(現柏葉)、昭和34年・37年・40年・61年・平成13年と三条が5回、昭和56年帯広工業、57年帯広農業、59年広尾、62年・平成元年帯広北高が2回出場しております。あまり明るい話題がない時に、地元から甲子園の夢をかなえ、なんとか明るいニュースにしていただきたいと思います。
球児の甲子園野球大会の歴史を見ると第一回大会は、大正4年に10代表校参加のもと、全国中等学校優勝野球大会として豊中球場で開かれ、その旅費は朝日新聞社が負担、第5回大会(大正8年)より敗者復活戦を廃止し、トーナメント方式勝ち抜き戦を採用となった。第6回(大正9年)より北海道大会が設けられ、代表は15校となる。大正10年に、満州・朝鮮大会が新設され17代表校となり、大正12年台湾が参加し19代表校となる。第10回大会(大正13年)から阪神甲子園球場が完成し、現在までこの球場で開催されている。第18回大会(昭和7年)文部省の野球統制令により、地方大会は第一次・第二次の各大会制となる。第19回大会(昭和8年)準決勝で中京商-明石中が延長25回の大熱戦となり、中京商が3連勝の偉業を達成!この時より審判員4人制となった。昭和17年~20年は大戦のため中絶。第30回大会(昭和23年)学制改革により全国高等学校野球選手権大会と改めた。
近年では参加校数が4000校を超えているおり、今年は8月7日の始球式には小泉総理大臣が行う予定です。
地元からも明るいニュースとなるよう頑張って頂きたいと思います。