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2005-2006年度会長報告

第3015例会 星屋 洋樹 会長報告 2006年4月12日

2006 年 4 月 12 日

2005-6会長

本日の例会ではロータリーソング「奉仕の理想」を歌いましたが、ロータリーソングは、1905年2回目の会合から会員になった、第5番目のロータリアンで印刷業のハリー・ラグルスが1905年の秋の夜、親睦が壊れてきたクラブになごやかさと友愛を取り戻すために、自ら立ち上がり「みんな、歌をうたおう」と当時流行っていた歌を何曲か音頭をとって歌って以来、例会での合唱はロータリーの伝統となりました。
ハリーはそれから何版も版を重ねた、ロータリー・ソングブックの第1号を1910年に出版しています。その後何十年も、クラブでの色々な活動の後や、あらたまった例会の最中でも、ハリー・ラグルスは歌によってクラブをまとめてきたのです。ハリーは所属クラブでも、全米の地区大会でも、国際大会でも歌の音頭を取りました。
日本のロータリーでは、第3代村田省蔵ガバナーが「従来のロータリーソングは英語ばかりだが、日本語の歌があってもよいのではないか」と提案し、日本語によるロータリーソングの公募となりました。1935年京都での第70地区、地区大会で入選ソングの候補が発表されました。入選歌詞第1位は「旅は道づれ」でありましたが、作曲の面で問題があり、歌われることがありませんでした。第2位は「奉仕の理想」そして「我等の生業」が入選し、今でも歌われているのであります。
戦後になって、日本ロータリーが国際ロータリーに復帰し、新しい出発の日本ロータリーにふさわしい明るく、楽しい歌を制定しようということになり全国で募集され、1952年1月、東京ロータリークラブ会員の矢野一郎氏の「手に手つないで」が入選し、4月大阪の地区大会で発表されました。続いて1953年には「それでこそロータリー」が作詞、作曲されています。
「手に手つないで」は1961年東京国際大会の折、開会式で歌うようにと国際ロータリーから指示があり、参加者24,000人のロータリアン、家族の大合唱となり、大変感激、感動の波が沸き起こったとされています。ちなみに英語名では「HAND IN HAND」と言っています。
以上、本日の会長報告と致します。