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2006-2007年度会長報告

第3029回例会 副会長報告

2006 年 7 月 26 日

 本日会長が、森の少年隊をたちあげて30年になるそうで、その間緑化推進運動に貢献したことに対して、内閣総理大臣表彰授与式出席のためお休みという事です。
 
会長の代理の仕事がこんなに早く回ってくるとは思ってもいなかったので、何を話していいのか随分悩みました。悩んだあげく、本日は富士山の話をしようと思います。
 
4年前から私は家内と太極拳を習っています。仲間に学生時代山岳部にいた友達がいます。元気な内に、一度富士山につれてってくれと1年前から頼み込み、ついに7日から2泊3日の富士登山が実現しました。天候に恵まれ、7合目で1泊し、次の朝のご来光も拝む事が出来、朝4時に山頂めざして登山を開始し山頂にたどり着く事が出来ました。山頂からは、眼下に河口湖、山中湖を見て、遠くに2000m級の山々が繋がるアルプス連山を一望する事が出来、1年で富士山の山頂が見られる晴れの日は30日ぐらいしかないと言われている、その1日に当たり、ほんとうに、ラッキーな富士登山でした。
 
私たちが7合目で宿泊した山小屋は鳥居荘といい、江戸時代からつづいている今のご主人で3代という大変歴史のある山小屋で明治3年からの宿泊名簿もあるそうです。
 
そのご主人、富士山に大変詳しい方で夜色々な話を聞かせて頂きました。
・昭和39年富士スバルラインが開通し年間20万人の登山客でにぎわっている。
・同じ昭和39年に山頂に気象台と、ドーム型のレーダーが建設され、当時は半径800kmの雨雲を捉える事の出来る最新鋭の機材だったそう、でも、その後人工衛星に主役の座を奪われ2004年ドームは壊され、気象台も閉鎖されました。ドームが建設されるきっかけは、昭和34年超大型台風の伊勢湾台風で死者、行方不明約5000人の犠牲者がでた。それがきっかけだそうです。
・観測所が観測した最高瞬間風速は1943年の91m、最低気温は1981年に観測したマイナス38度が記録されている。
・富士山の年間平均気温マイナス7.1度、夏の最高気温6.8度、年間平均風速は12mです。
・また、100mのぼるとマイナス0.6度平地より温度が低くなる事。
等々色々な事を教えて頂きました。
 
私たちは山頂のお鉢めぐりをし、砂走りの下山道で知られているコース、一足で2mから3mも下れる砂走りを楽しみながら一気に五合目まで下山しました。ふと立看板を見ると、2004年山梨県と静岡県から20000人のボランティアの方々が動員され富士山の一斉清掃が行われたそうです。10年以上前までは、トイレの悪臭とチリシの山で、山頂付近は空気の臭いまで違っていたそうです。今ではチリシどころか、ゴミひとつなく、トイレは有料ですが、水を流すようになって清潔そのものです。
 
富士山が、世界遺産に登録されなかったのには、今述べた事が原因だと聞いています。
 
知床に日本で最初の世界自然遺産は登録されましたが、今の富士山はきっと世界自然遺産に登録される日は目前と思います。本当にきれいな山に変身していました。高山病も経験し、健康に感謝し、山頂制覇に感動し、大パノラマ展望に感激した富士登山でした。

2006-07年度帯広RC副会長
国島 直幸