2015-2016年度会長報告
第3462例会 平成27年11月25日 会長報告 中田 知徳 副会長
2015 年 11 月 30 日
みなさん今日は。今日は、讃岐会長が所要で欠席のため、代わりに会長報告をさせて頂きます。先ほど、例会開始の点鐘をさせて頂きましたが失敗せずホットしているところです。
さて、本日は19:00より十勝ガーデンズホテルでロータリー情報・記録保存委員会によります「寺子屋」が開催されます。この事業は2007-08年度、奥 周盛会長の時に「ロータリーの歴史と理念」を学ぼうと渡辺 喜代美委員長のもと始まりました。この年はなんと8回も開催しております。その後、年4回から2回開催しており8年間続いている当ロータリークラブの素晴らしい事業の一つです。今夜も学びながらその後、楽しく親睦を深めたいと思います。
先ほどみなさんと一緒にロータリー・ソング「それでこそロータリー」を歌いました。
帯広クラブは第一例会「四つのテスト」、第二例会から「奉仕の理想」「我等の生業」「それでこそロータリー」と歌っていきます。なぜロータリーでは歌を歌うようになったのでしょうか。
1905年、ロータリーが創立し5番目の会員となった印刷業のハリー・ラグルスが歌ったのが最初でした。歌は、ロータリー・ソングではなく、当時の流行歌でした。当時のアメリカは「歌を歌うこと」「コーラスをすること」は、人々のごく一般的な風潮だったらしいです。
ロータリー誕生後2年目には、会員同士のささいな意見の違いがだんだん大きくなり、シカゴクラブ内が割れ、出席率も低下するという事態が起きてきたそうです。このままではクラブは解散してしまう危機に。そこでメンバーの一人が、ハリーに「毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうだろうか」と言ったそうです。それからハリーの指揮による歌声が、毎回クラブの例会に響くようになり、クラブの雰囲気は改善され、シカゴRCは危機を脱したそうです。以来、例会での合唱は、ロータリーの伝統となったそうです。
さて、日本ではどうかというと、1920年創立の東京RCですが、初めの頃は「ロータリーソング」として英語で歌っていたそうです。当初は歌うことにあまり乗り気ではなかったそうです。しかし1926年ごろになって認められ、1927年のIMの時には、会議中も会議後の観光バスの中でも、会員の家族が中心となってロータリーソングが歌われ、会員もやっと、歌うことが親睦の源であると理解し歌うようになったそうです。その後、日本語によるロータリー・ソングを求める声が高まり1935年京都での地区大会で「奉仕の理想」「我等の生業」が日本語ロータリー・ソングとして発表されました。戦争中に「君が代」の斉唱が始まり、1949年、日本は国際ロータリーに復帰します。1951年「手に手つないで」が、つくられます。
これは、1952年7月から、日本のロータリーが2つの地区に分かれるという事態に当たり、これからも友情を確かめ合い、手に手つないでいこう、と誓い合った歌です。「それでこそロータリー」も1953年に誕生しています。「四つのテスト」は1973年に和訳された四つのテストに曲を付けたものです。今日では、例会で歌うことがポピュラーな親睦行事となっています。今日は、私も何気なく歌っていた「ロータリー・ソング」についてお話させて頂きました。