2007-2008年度会長報告
第3106回例会 会長報告
2008 年 3 月 19 日
先日の日曜日に、帯広ライオンズクラブの創立50周年記念式典に出席してきました。390名ほどの会員と来賓が集い、盛会でした。帯広ライオンズクラブは、釧路ライオンズクラブをスポンサーとして、1958年10月21日に、道内8番目、国内94番目、十勝では初めてのクラブとして、25名のチャーターメンバーにより結成されました。現在の会員数は42名、会長は、高井信夫さんです。
来年50周年を迎える帯広北RC(1959年2月23日創立)とほぼ同じ頃の創立です。Japan Lions Clubのホームページによると、「ライオンズクラブは1917年に、アメリカのシカゴで誕生した。創立者メルビン・ジョーンズは、当時シカゴにおいて保険代理店を経営し、ある実業団体の会員である。彼は、この実業団体の活動において、単なる商売上または社交上の集まりに留まらず、社会のために何か有益な団体となり得ないかと夢をいだき、全米各地の各種団体に呼びかげて、社会奉仕団体の結成をもくろんだのである。かくして、1917年6月7日に初の会合が開かれた。」とあります。また、検索サイトのWikipediaには、「ライオンズクラブはロータリークラブから分裂する形で組織された団体である。」と書かれている。1917年当時のロータリーの歴史を重ねると、1923年のセントルイス国際大会において、決議23-34によって決着をみた、奉仕活動の実践をめぐる論争の時代である。ミネアポリスRC会長のフランク・コリンズが、「Service not Self」と語ったのは1911年。これは後に「Service Above Self」となり、ロータリーの第一標語となりました。(因みに、ライオンズの標語は、「We Serve」)1917年RIの6人目の会長アーチC.クランフがアトランタ国際大会において、「ロータリーが基金をつくり、世界的な規模で、社会奉仕の分野で、何か良い事をしよう。」と提案したのは、1917年。この基金は今日のロータリー財団へと発展します。等々のように、今日のロータリーの奉仕の理念と実践の多くのことが、この時期に形成されています。ライオンズクラブは、現在、世界201の国と地域に、約44,700クラブ、137万人の会員を有しており、規模においてはロータリーをも凌駕する世界最大の社会奉仕団体へと成長しました。決議23-34をはじめとする、当時のロータリーの先達の賢明な判断と革新が無かったならば、今日のロータリーは無かったかもしれません。
マッチング・グラント(MG)の中間報告、現在、タイ国3330地区のPohsadej Nakornsri RCとのパートナー・シップで進めているMGは、「心身障害児童のための移動教室事業」という内容で申請書を作成し、タイのRI事務局を経由してロータリー財団本部へ、今月中に提出する手続きを進めています。事業予算は、当初よりも大幅に増えて$27,666(2,987,928円)となりました。帯広RCの負担は当初の$2,000で変わりませんが、総体予算が増えた関係で、中標津RCに参加いただき、共同で国際パートナーとなる事となりました。中標津RCは、RI2500地区世界社会奉仕(WCS)の笹谷委員長のいるクラブで、笹谷委員長には、いろいろとご指導とご協力をいただいております。申請後のスケジュールは、財団の審査を経て8月頃に契約を取り交わし、送金手続きが完了次第、事業の実施となりますが、次年度の9月以降となる予定です。
2007~2008年度帯広RC 奥 会長