2012-2013年度会長報告
第3318例会 平成24年10月10日 会長報告 奥原 宏会長
2012 年 10 月 18 日
先週末10月の5日から7日まで北見市において2012 − 13年度地区大会が開催されました。登録参加いただいた会員の皆様、本当に有り難うございました。北見の居酒屋・スナックでのおびひろナイトでは良いお酒を飲むことができましたし、会長として心地よい疲れと同時に一生の思い出ができましたことをお礼申し上げます。
本日の例会プログラムは米山委員会の主催でございますが、多分私にしか会員の中でわからない米山梅吉の側面について
少々お話をし会長報告と致します。
米山梅吉は1868年(慶応4年)東京芝田村町で高取藩の家中、和田竹造の三男として生まれ、のち8歳の梅吉は映雪舎(尋常小学校)に入学。成績優秀なため旧家、米山家の養子として望まれ、400年続いた米山家に小学校卒業後、養子となりました。養父の配慮で中学校に入学し、当時は言論文章をもって天下国家を論じる風潮があり、梅吉は文筆も弁舌も巧みでありました。その後養父の反対を押し切り東京へ行き青山の東京英和学校に入学。この間苦学を強いられながら英語を学び渡米することになりました。その後1895年、米山はアメリカから帰国し、青山女学院を卒業した米山はると結婚、三井銀行に入り持ち前の能力と人望により頭角を現し退職後、三井信託を創立しました。1913年、青山学院の理事となり、校友会長として学院の事業に力を注ぎました。のち学院の小学校・幼稚園を米山氏は夫婦にてそれぞれ建立しました。米山校長が朝礼で子供に繰り返し説いた校訓は暗い時代にあって子供たちの心の奥深く響いたそうであります。「人からされて嬉しかった事は、人にもそのようにしなさい。」「人からされて嫌であった事は、人にもしてはいけない。」多くの卒業生が、幼い時に覚えたこの言葉が人生の指針となったと述懐しているそうであります。
1920年、日本で初めて東京ロータリークラブを設立し米山氏が初代会長となりましたが、1946年に逝去するまで教育に力を
注ぎ続け、多くの苦学生の就学を援助する理念となったと思います。