2011-2012年度会長報告
第3298例会 平成24年5月16日 会長報告 加藤維利会長
2012 年 5 月 16 日
先週は3月の気温で冷たい雨が続いていましたが、今週は打って変わって、初夏を感じる暑さになると言われていましたが、また雨の天候になっています。体調の変化に十分注意をしてください。
先週の土曜日に芽室RCの創立50周年の記念式典に参加してきました。芽室クラブは帯広RCがスポンサークラブとなり、1962年3月25日、チャーターメンバー25名で創立したクラブで、5月4日にはRIの承認を受け、全国で499番目、現在の第6分区では4番目のRCとして誕生しました。すでにガバナー2名とガバナー補佐を1名輩出している質の高いクラブです。
さて今日はチェスリー・R・ペリーについて話をしたいと思います。1908年、この年はシカゴRCがロータリーの歴史上忘れることのできない人物を二人入会させました。一人は皆さんもよくご存知のアーサー・F・シェルドン。もう一人はチェスリー・R・ペリーで、ポール・ハリスの4歳年下です。
チェスリー・ペリーの名前は皆さんもよく聞く名前だと思います。ポールが「ロータリーの創始者」と呼ばれているのに対し、チェスは「ロータリーの建築者」と呼ばれています。彼は1872年にシカゴの文房具店の息子として生まれた都会っ子でした。1908年にシカゴクラブ5人目の会員のハリー・ラグルスの紹介でシカゴクラブに入会しました。当時、シカゴ図書館の役員をしていました。
チェスリー・ペリーは聡明な頭脳、明確な判断力、驚くべき博識の持ち主と言われていますが、正式な教育はほとんど受けたことがなかったとそうです。若い頃はスポーツマンでフットボール、野球、バスケット、ゴルフ。また、ライフルやピストルの名手だったそうです。おそらく兵隊として戦争に参加していたためだと思われます。また、チェスはシェルドンの学校の門下生でもあり、当然のようにシェルドンとは親交を持っていました。
ポールは当時ロータリーを拡大させようという夢を持っていました。著書「ロータリーへの私の道」の中で「シカゴクラブが作られて3年目に入ったころ、夢を実現させるために、飛び抜けて骨を折ってくれる人が出てきたのは、ほんとうに神の御心(みこころ)だったとしか思えません。この人がいなかったら、ロータリーに何ができたか。その人の出現はそれほど大きな意味を持っていたのです。」と書いています。
チェスは1910年、全米RC連合会が結成され、第1回大会で大会委員長を務め、初代事務総長に任命されました。事務処理能力にすぐれ、RIになってからもその職を続け、1942年に退任するまで32年間その重職にありました。退任後シカゴクラブに戻り、44-45年度にシカゴクラブの会長も務めました。また、1911年1月には「THE NATIONAL ROTARIAN」を創刊させています。彼は1954年3月にタルサ・クラブというところでの講演で「奉仕理念(The ideal of service)」についてこう語っています。「多くのRCがそれぞれの地域社会で行っている社会奉仕活動のすばらしい業績に加えて、ロータリー運動は全体として、ロータリーの会員になる人だけではなく人類全体にわたって、他人のことを思いやり、他人のために尽くす(Thoughtfulnessof and helpfulness to others)という奉仕理念(The ideal of service)が受け入れられ、実行されて行くものと信じています。」と述べています。
このことはシェルドンの職業奉仕の理念がロータリーの奉仕理念を指していた時代から、他人のことを思いやり、他人のために尽くすという超我の奉仕(Service above self)を指す時代に変化し、今日に引き継がれていると考えられます。
最後にチェスの言葉を述べて、本日の会長報告とさせていただきます。「ロータリアンという言葉は、ひとかけらの銀でも『純銀』と言えるのと同じように、本物でなければならない。だからロータリアンは、集団の活動においてではなく、個人として、絶え間ない確固とした活動の中で、自らの潜在的な全資質を磨いて行かなければならないのである。世界を改善する最もよい方策は、自己を改善することである。」