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2011-2012年度会長報告

第3287例会 平成24年2月22日 会長報告 加藤維利会長

2012 年 2 月 28 日

加藤維利会長明日、2月23日のロータリーの創立記念日は、世界理解と平和の日( W o r l dUnderstanding and Peace Day)と定められ、各クラブはこの日、国際理解と友情と平和への献身を特に認め、強調しなければならない日になっています。さらに2月23日に始まる1週間を「世界理解と平和週間」と呼び、ロータリーの奉仕活動を強調することと決議されています。
 ところでポール・ハリスは1868年4月19日日曜日にウイスコンシン州のラシーンで生まれています。父のジョージはドラッグストアを経営する薬剤師だったようですが、経営に失敗し、破産と一家離散という悲劇が訪れます。長男のセシルと共にポールは父方の祖父母に育てられます。父方の祖父はバーモント州のウォーリングフォードで農園を経営し、町の有力者でした。また、母方の祖父はラシーンの市長を務める有力者でしたが、金鉱探索に失敗して無一文になったと言われています。少年時代には医者であった父方の叔父の影響を受けたと思われています。多感な少年期を過ごしたポールは大学を転々とし、最後にアイオワ州立大学を卒業し弁護士になります。1891年6月、ポール23歳のことでした。
 その後ポールは5年間弁護士の仕事をせず、アメリカ、ヨーロッパを放浪しいろいろな職業を遍歴し、そのおかげと言うか人生経験を豊富にします。1896年2月27日、やっとシカゴに定住して弁護士事務所を開設します。1898年にはパートナーシップ事業に参画し、ハリス・アンド・ドッズという法律事務所を設立します。このあとハリスの仕事は繁盛して行きます。しかし、シカゴの生活様式にはなかなか溶け込めず、望郷の念が強まるばかりでした。
 そして、ポールがかねてより考えていた新しいクラブについて、実行に移すときがやってきました。それがポール37歳直前、1905年の2月23日木曜日の夜でした。ただロータリーの創立日について疑わしい点があると言われています。シカゴ・クラブの初期の便箋には創立日として1904年2月26日の文言があります。創設時の5人目の会員であるハリー・ラグルスは1904年にはクラブのための印刷の仕事を4回請け負っています。実は1904年にはクラブを始めようとの話があり、それを裏付ける証拠があるのですが、実際には1905年までは軌道に乗せられなかったということではないかと言われています。
 更にもう1つ。国際ライオンズの公式文書には「レッグの兄ポールは、1905年にシカゴでロータリーを創立した人であり、当時19歳の若者であったレッグは、ロータリーが誕生した事務所に居合わせた5人のうちの1人でした。」と書かれています。本当はどうだったのかは分っていません。
 ただ、この日にはまだロータリークラブの名称はありません。名称が決まったのは3回目の会合の3月23日のことでした。この会合では初代会長が決まり、会員身分や1年限りの役職のローテーションも決まっています。以上ロータリーの創立記念日にちなみ、本日の会長報告と致します。