帯広ロータリークラブのトピックス

帯広ロータリークラブのト会員一覧、役員表、年間プログラム等

帯広ロータリークラブについて

国際ロータリー第2500地区
ロータリー文庫
帯広ロータリークラブ携帯サイトQRコード

携帯サイトができました。 ロータリーの情報を旅先でもご覧いただけます。

2011-2012年度会長報告

第3272例会 平成23年10月19日 会長報告 加藤維利会長

2011 年 10 月 25 日

加藤維利会長
先週も話しましたが、今月は職業奉仕月間です。地区大会の中でRI会長代理の黒田正宏氏の話がありましたが、氏は2011-12年度RI職業奉仕推進委員会の委員長でもあります。今月の「ロータリーの友」横組みの6、7ページにRIの職業奉仕の方針について述べています。ぜひお読みいただきたいと思います。

 さて、ロータリー。その事を語るとき、その人が若しロータリークラブに入会しなかったら、現在すでにロータリーは消滅していたかも知れません。
 アーサー・フレデリック・シェルドンは1899年、教育書の販売者からシカゴで出版会社を経営するようになりました。この会社は成功しました。シェルドンは当時の時代背景にある商売の原則が「買い手の自己責任」。つまり買い手が用心することが鉄則であり、商売上での賄賂のやり取りが横行していた時代の考えとは異質な考えを持っていました。
 ちょうど、同じ場所、同じ時期に、ポール・ハリスがいました。つまり、シカゴです。彼もまた無常な商業主義と大都市の生活の非人間性に反抗していました。ポールがシェルドンといつ出会ったかは記録がありません。確かにいえることは1907年より以前だと言う事です。シェルドンは1908年1月にはシカゴロータリークラブの会員になっていたからです。彼は、職業とは社会にとってよりよい利益のために奉仕しようという願望があるから成り立つという考えが、この時代には必要になっていると感じていました。1902年シカゴで設立した「シェルドン式販売学専門学校」では、その考え方を教えていました。
 その考えとは、“職業というものは、それにかかわるすべての当事者(従業員や顧客、納入業者、下請け業者そして同業者)が、その取引によって利益を得るものでなければ正当化されない”というものでした。これはポール・ハリス没後に出版された「ロータリーへの私の道」の中の一節です。ポールはこうも話しています。“シェルドン博士は職業における私たちの奉仕の責務について、よりはっきりと理解を得させてくれた。「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」というスローガンをもたらしてくれたことに対し感謝しなければならない”…と。
 1916年からこのスローガンは「超我の奉仕」と一対のスローガンになりました。この言葉は、“ミネソタ州セントポールの床屋で蒸しタオルが顔にかかっているときに思いついた”とシェルドンが言っていたとチェスリー・ペリーは回想しています。1910年に事務総長になったチェスリー・ペリーはシェルドンの門下生です。このときシェルドン・スクールの名簿には、諸外国を含め25万人の人々が載っていたと言われています。
 シェルドンは「利益を得たいという動機と奉仕の精神は調和できる。」と言う考えの中で、「売主のためになるのと同様に、買い主のためにもなるのでなければ、その取引は無益なものです。」と話しています。これは近江商人の三方よしや4つのテストにも通じる言葉だと思います。
 また、シェルドンはロンドンやマンチェスターにイギリスで最初のロータリークラブを発足させています。シェルドンのロータリーに対する最大の貢献は表面的な記録の中ではなく、彼が言葉に置き換え、人々の心に植えつけた発想の中にあるといわれています。つまり、「人の事業・専門職務生活は、まさにその人の在るがままの表現である。」…と。また、「人は物質的な利益が、相手に与えた奉仕に釣り合っているときにのみ、人生の真の意味の価値において豊かになり得るのである。」という考え方にあるということです。これらの話はロータリーの友1999/1、2月号と、ポール・ハリスの「ロータリーへの私の道」に載っていたものを参考にしました。
 このあと、プログラムで職業奉仕委員会の木野村委員長より話がありますので、私はこのくらいにします。
 職業奉仕という概念は他団体にはない考え方です。ぜひシェルドンの考えを理解して、これからの奉仕活動に反映していただくことをお願いして、会長報告とさせていただきます。