2010-2011年度会長報告
第3254例会 平成23年6月8日 会長報告 後藤裕弘会長
2011 年 6 月 16 日
こんにちは、暖かくなったり、寒くなったり、不順な天候が続いております。
昨日、富良野農協様の方とお話ししたのですが、稲作は、20日程遅れているとのことです。東日本大震災で使用不能になった田んぼが24000Haと聞いております。13万トンが生産されなくなります。国の備蓄が100万トンもありますので、輸入は必要ないと思いますが、古米を食べることにはなるかもしれません。
今日は、ボーイスカウトの重役様がゲストとしてお見えになっておられます。
特に富川様には私のJC時代自衛隊の広報におられて、氷まつりの応援をして頂き、さらに、2回程ヘリコプターにも乗せて頂きました。有難うございました。
この中で、ボーイスカウトの経験ある方がどれだけおられるか解りませんが、今日は、ボーイスカウトの思い出話をしたいと思います。
私が6年生になった昭和33年4月に、帯広第4団のチャーターメンバーとして入隊いたしました。当時のコミッショナーは、当帯広ロータリークラブのチャーターメンバーでもありました杉田末吉様で、団委員長は三中の百々先生、隊長は帯広ガスにお勤めの大塚ミツオ様でした。申し訳ない事ですが、副隊長の名前は忘れてしまいましたが、映画館の映写技師の方でした。
その他に、2年前に結成されていた2団、1年前に結成されていた3団から上級班長として吉江様、班長として当クラブ会員だった林博道様など4名が移籍され団員数は30名程度でした。第1団は、戦前に活動しており、RCと同様に解散されていた模様でした。
入隊して間も無くの8月に全道大会があり、初級試験に合格しなければ連れて行かない。とのことで、先ず“3つの誓い”の暗唱から始まりました。
“3つの誓い”を宣誓するときは、3本の指を立てて、右腕を肩から水平に上げ、肘から垂直に上げます。そして、「私は、名誉にかけて次の3条の実行を誓います。1つ、神と国とに誠を尽くし、掟を守ります。1つ、いつも他の人を援けます。1つ、身体を強くし心をすこやかに、徳を養います。」と、行います。
ボーイスカウトの敬礼が3本指で行うのも、この“3つの誓い”からきています。そして、12だったと思いますが、スカウトは親切である。礼儀正しい。友誼に厚い。などの掟、を暗唱、またロープの結び方などを教わって、どうにか間に合って合格し、参加させて頂きました。
全道大会の会場は北大の第2農場で、とても広く、たしか2,000人位の規模で、3泊程度のキャンプだったと記憶しています。北海道知事の町村金吾様が、挨拶の後、我々のテント付近に来られて「ここはとてもしっかり張られている」と、ほめて下さったことが忘れられません。
翌年は、滋賀県あいば野という所で日本ジャンボリーが開催され、私は、班長という立場で参加しました。参加者は1万人を超えていました。4~5日のキャンプでしたが、40度にも、なろうかという猛暑、そこへ台風まで来てしまいました。猛烈な風雨の中、テントが飛ばされそうのなっても、我々子供達は中で、荷物や身体でテントを押さえるだけでした。
隊長達が見回りに来られて「このテント誰かいるのか」と、声をかけられ「ハイいます」と答えると、大雨風の中、しっかりとテントを張り直して下さいました。翌日、副隊長が体調を崩され、入院されてしまいましたが、本当に献身的に援助してくださいました。
式典のアトラクションでは、特大のキャンプファイヤーを囲み、秋田の竿灯を初めて見たこと、琵琶湖でシジミ採りをしたことなど、一生の思い出となっています。帰りには、たまたま私の誕生日を迎えました。青函連絡船で、林博道さんが、サイダーをおごって下さって皆で祝福して頂いたことも忘れられません。
毎年、春から秋にかけて殆どの日曜日をキャンプやハイキング等の野外活動で過ごし、冬は主に隊長の自宅などで、救急救命、かまくら作り、下の句かるた、など学校では教えない勉強をさせて頂きました。
先週、JRの事故や福島原発の話で、備えあれば憂いなし、との話をさせて頂きましたが、ボーイスカウトの標語にも“そなえよつねに”と有ります。これはロータリーでの4つのテストのような存在ですが、さすが素晴らしい教えだと思います。スローガンは“日々の善行”です。
皆様のお子様、お孫様が居られたら、是非入隊をお勧めしたいと思います。