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2001-2002年度会長報告

第2808回例会会長あいさつ 2001.12.5 

2001 年 12 月 5 日

2005-6会長

 十勝への移民
 お手元に「新十勝史」からのデータをお配りしています。これによりますと、明治15年から45年の間の、十勝への移住者は約6万人を数えます。富山県がトップで、岐阜、宮城、福島、福井、徳島、石川、香川、山形と続いています。北海道全体では一番多いのが青森、次いで新潟、秋田、石川。北海道の開拓や松前藩との関係から東北が多いのですが、十勝の開拓は若干遅れましたから他の府県からの移住が多くなっています。依田勉三の晩成社、二宮尊親の興復社が有名です。
 明治2年に北海道開拓使ができる20年以上前から、松浦武四郎は北海道を探検していました。十勝については音更の鈴蘭の高台に石碑が残っており、「このあたり馬の車のみつきもの御蔵を立てて積まほしけれ」という彼の歌が書かれています。鈴蘭高台から十勝平野を眺め、肥沃な大地なので、いずれ馬車が運んできた穀類が積み上げられ、倉が建って繁栄すると予測した訳です。また武四郎は初代開拓判官に着任しました。
 なぜ北海道開拓使が置かれたのでしょう。北海道は北辺防衛上の拠点と位置づけられたのです。函館にアメリカ、イギリス、ロシアなどの艦船が立ち寄り、その後ペリーの来航、日本開国につながっていきます。

 植民地だった北海道
 次に北海道を内国植民地とみなしたということです。第一の理由は日本が稲作文化の国であり、肥料としてニシンかすが重要であったということです。あらゆる農作物に使われましたが、特に稲の大増産につながり、江戸の人口増を支えるバックボーンとなりました。その後の北海道は、高田屋嘉兵衛を先駆けとする北洋漁業の拠点、石炭の産地、そして現在は農産物の供給地となっています。
 もう一つは本州の過剰人口、農地不足に対応する受け皿でもありました。また各地の災害、特に台風を中心とする水害のダメージ、産業の衰退などにあわせ、大量の移民が北海道にやってきました。北海道への移民は結果的に200万人に上っています。背景には「移住ブーム」もありました。当時ハワイに日本から18万人が移住しています。新天地で一旗揚げようという動きでした。
 例えば徳島県からは明治18年から45年までに43000人が移住してきました。1年に3000人を超す年もありました。徳島からの移住がなぜ多かったかといいますと、主産業の阿波藍が、インド藍や化学染料に押されて急激に衰退し離農せざるを得なかったことと、吉野川の水害によって移住を強いられたという理由です。
 移民には、単独移民、団体移民、小作移民があります。単独よりも団体、小作に成功事例が多く、明治政府と北海道庁が奨励しました。
 あわせてこの時代、北海道毎日新聞(現在の北海道新聞)が、事業の一環として移民勧誘キャラバンを行っています。7ヵ月にわたり、2人の記者が全国を歩いてパンフレットを配り、演説をして北海道がいかに住みやすいかをアピールしました。それにつられて相当数の人が移住してきた事実があります。
 もっとも、移民の3分の2は北海道から逃げ出しました。この状況はどこも同じとみられています。農耕で苦労したのはまずクマザサ退治でした。生えないようにするには3年刈り続ける必要があり、クワやカマ程度の道具でよく作業したと感心します。

 開拓の苦労
 次に昆虫や動物の被害です。特に十勝はアブ、カが多く、農作業をしていると顔が真っ黒に見えるほどにたかられるため、顔に布をぐるぐる巻き、目だけ出して作業したそうです。また晩成社の失敗は、明治16年、入植した年にバッタが十勝に大発生し、穀物をほとんど食い尽くされたことが大きな原因となりました。農作物の芽が出てもウサギやシカに食われ、ウマやウシなどの家畜はオオカミやクマにも狙われたようです。

 道民気質の短所を長所に
 昭和9年に北海道庁が道民について、長所は「積極進取、気宇雄大、豪放大胆、耐乏・忍耐力、小事に拘泥せず、因習なし」、逆に短所は「土着心愛郷心なし、投機心、公共心乏し、粗野、敬神崇祖の念(信仰心)乏し、経済的観念欠如、粗放(非計画的)、利己主義(個人主義)、隣保互助せず」と挙げています。
 我々の多くは先祖が移住者でしょう。残念ながら短所は、今も継いでいるように思います。今後我々としては、短所を長所に変えていくことが重要ではないでしょうか。すなわち、
 1、互助。
 2、計画性。戦略を持って行うこと。地域、経営などすべてにおいて。
 3、地産地消。地域のもの、地域でとれるものを大事にする。
 の3点です。今後、移民という歴史的事実と、そこから派生する文化を大切にしながら活動を続けてまいりたいと考えます。