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2010-2011年度会長報告

第3252例会 平成23年5月25日 会長報告 後藤裕弘会長

2011 年 6 月 1 日

後藤裕弘会長
先日5月14日に、富良野RCの50周年があり出席してまいりましたが、そのお礼状が参っております。50周年の節目を継起としてクラブ会員一同ロータリー活動に傾注してまいりたいと存じます、とのことです。
さて、時節柄総会シーズンということで、皆様におかれましても、お忙しい日々を送っておられることと拝察いたします。

私自身、数えてみますと5月だけで12回の総会があり、その多くに役員会があります。日程が重複して欠席せざるを得なかった総会が3度ありました。そんなわけで、事日の会長報告のネタを考える時間が取れず、以前から考えていた、当帯広ロータリークラブの最も誇り高い先輩の一人であられる宮脇 冨様についてお話しさせて頂きます。田中PGから資料をお借りしていたのですが、時間が取れず、まだまだ、さわりしか解っておら
ず詳しい方には、とても申し訳ないのですがお許しを頂きたいと思います。
宮脇冨PGの、冨という文字は、ウ冠の富(富山県の富)という字と、上に点の無いワ冠の冨という字があり、インターネットで宮脇様を検索したところどちらも出てさますが、畜産大学のHPに使われ、田中PGの著書にも使われていたワ冠が正解と思われます。
さて、その宮脇冨様は、明治16年8月月18日に島根県大田市でお生まれになられました。14才で北海道に渡られ札幌農学校(現北大)を卒業。その後、アメリカに渡られカンザス州立農大で酪農を研究、世界で初めて搾乳機を実用化させました。
明治44年、帰国して東北帝大農科大(現北大)の助教授、教授をされ、昭和7年、札幌ロータリークラブのチャーターメンバーとして活躍。2年目に幹事をされ、第7代会長をされました。
昭和16年帯広高等獣医学校の校長となり、昭和24年帯広畜産大学初代学長に就任されました。その間、戦時中ロータリーが中断されていた間は、札幌職能倶楽部として活動を続け初代会長を務められたということですが、当時畜大に在籍中で、どのようにして出席されたかは調べがつきませんでした。ただ、余りにロータリーに熱心で学校へは出勤率が悪かったとの記載もありました。
昭和25年に札幌RC会長の福山甚三郎氏から要請を受け、帯広クラブ復活に向け数人の有志を集め、復活に向けて協議を重ね、12月にはチャーターメンバー34名で復活にこぎつけました。昭和27年に離帯していますが、翌年、昭和28年には札幌RCの在籍で、第60地区のガバナーをされ、多くのクラブを新設されました。
また、ここがー番重要なことですが、戦前から要望されていた、手続要覧の日本語訳について、手島知健PG(1949~5160地区ガバナー東京RC)が行っておりましたが、手島PGが病に倒れてからは宮脇様がこれを引き継ぎ、完成させております。
昭和43年5月29日にご逝去されるまで「戦後、日本のロータリークラブの育ての親」とされている方であります。宮脇様についてネットで調べていきますと、随分多くのサイトに記述されており、私自身さわりだけしか調べておりませんが、こんな大活躍をされた先輩が帯広クラブにおられたということは、当クラブの大変な誇りでございます。田中PGの執筆された「ロータリー雑録」にも詳しく載っておりますが、是非、皆様ご自身でもお調べになることをお勧め致します。